西成の歴史 と 署の沿革












 わが街「にしなり」について

「西成」は、大阪市の南西部に位置し、北はJR環状線を境に浪速区、東は阿倍野区、南は住吉区、西は木津川を挟んで大正区に接しています。
 さかのぼること奈良時代末期頃、現在の大阪市を中心にその周辺地域を含めた地名を「難波大郡、難波小郡」と呼んでいたが、奈良朝元明天皇の和銅6年(713年)、郡郷の名は2字を用いるべしとされたことにより、難波大郡を「東成郡」、難波小郡を「西成郡」に改められました。その時の境界は、概ね上町台地の屋稜線であったが、年月を重ね、木津川の沖積による陸地化が進み、更に海浜を埋め立てて陸地造成も活発化し、その結果できた造成地は、現在区内南西部の工業地帯一帯であります。
 大正14年(1925年)4月、大阪市の第二次市域拡張に際して「西成区」が誕生し、昭和18年の分区に伴い、旧天王寺村の山王、天下茶屋地区を編入して現在に至っています。
 現在の西成区は、面積7.35平方キロ、世帯数約7万5000世帯、人口約13万人の方が生活されています。



 
西成警察署の沿革

 西成警察署は、大正8年(1919年)4月21日に住吉警察署から分離し、今宮警察署として創設されたのが始まりで、昭和18年1月21日に西成警察署と改称されました。昭和20年3月14日の戦災により庁舎が被災したため、昭和21年5月16日に、当時の大阪市西成区海道町(現在の場所である西成区萩之茶屋2丁目4番)に移転しました。
 その後、昭和23年3月7日の警察法施行により、名称が「大阪市西成警察署」となりましたが、同30年7月1日の府市警察統合によって、現在の「大阪府西成警察署」と変わり、現在に至っています。
 現在の庁舎は平成7年8月に立て替えられ、区民の平穏を守る砦として全署員日夜努力しています。



西成区の花 はぎ

西成区の花「はぎ」


 昔、西成区を南北に走る紀州街道沿いに、はぎが咲き乱れており、旅人らの心をなごませていました。
 はぎは、庶民的な花として親しまれ、小枝や小さな花がたくさん寄り集まっているのは団結・協力を象徴します。